丹沢 ;  檜洞丸
(ひのきぼらまる)

平成八年の歩き納め!


 H8年12月29日(日)当日発 ; Member.計2名(夫婦)

12月29日(日) 天気;晴
自宅7:00発〜淳宅7:45着〜西丹沢自然教室10:00〜ゴーラ沢出合〜
(途中昼食1時間)〜檜洞丸山頂14:00-30〜ゴーラ沢出合〜西丹沢自然教室16:45


 恒例となった?主人との例年の年末山行。
 寝坊して1時間出発が遅れたが、それでも息子の家に届けものをし、東名を使わず246で行った。行きは私の運転。以前大野山に行ったことがあるので主人が隣で寝ていても何とか目的地に到着。入山連絡を入れたりして出発はもう10時になっていた。天気は良い。時間以降は主人も私もなぜか切り捨てていたため登りは2時間ちょっとと勝手に理解していた。気楽に登るつもりだったのにと主人は早くもあえいでいた。私は別に気にならない。しかし、陽射しが強くて暑い。

 山頂での昼食は早々に諦めて、途中通路の少し広いところでお昼にした。おでんにお餅も入れてことこと温めていると、下山者が数グループ通っていった。陽が雲に隠れてやや寒かった。遅い入山とはいえ、ゆっくり休みまた登りにかかる。この時はやはり、山頂で食べてゆうゆうと下りたかったなと思う。主人もそう思っているに違いないのに、言っても詮無いことと諦めてか、何も言わずもくもくと、しかしため息をつきながら登っていく。我々の歩みはのろい。牛の歩みだ。霜柱が現れ、周りにはまだらに雪が散らばっているが、歩くにはまったく影響ない。アイゼンも用心に持ってきたが、不用だった。上に行くにつれガスってきた。山頂だなと思えたのは、途端に道幅が広がってきたとき。バイケイソウ等を守るため木道や金網のバリアが現れてきて、ふと塔ノ岳の山頂を思い出す。丹沢山塊はどこも同じ運命にさらされているのか実に痛々しい。ブナの立ち枯れがやはり気になった。先日青木さんや理佳ちゃんがNO2調査に参加した報告をしていたが、山にとって、人間のしてきた罪は重い。人間の体で言えば末期ガンといったところか。人間の力でどこまでフォローできるだろう。

 山頂は誰もいなかった。既に2時、当然だ。ガスで蛭ヶ岳はおろかほとんど何も見えなかった。それでも楽しみにしていたコーヒーをいれて、その香りと味と雰囲気を楽しむ。そしてもう一つ楽しみにしていたことがあった。今回初めて携帯を持ってきたのだ。途中は圏外で通話不能だった。尾根へ出れば…、山頂へ行けば…と、思いつつ到着したてっぺんで、ピッピッピッ?ん?圏外?何とこの山頂でも圏外の表示。まさか…と山頂をくるくる動きまわるが無駄な試みだった。山頂で爽快な喜びの声をみんなに聞かせたかったのにくやしい。主人は「PHSで良かったんじゃない」とケタケタ喜んでいる。私のこの山登りの安全を思って買った物なのに何ということだ。あまりにあきらめの悪い私を気の毒に思ってか、「やっぱり周りの山がじゃましているんだよ」と主人が慰めにまわった。アーア!

 30分ほどゆっくりして下山。時間的に別コースをとるのは無理と判断し、同じ道を下りることにした。同じ道でも登りと下りでは風景が全く違う。このコースの難はずーっと林道が並行して見えることだ。人工的な産物が見えるのが一番気に入らない。そんな道を車で通ってここまで来たというのに、山に入るとついそんな勝手なことを思ってしまう。

 登りと違い主人も喘ぐこともなく、気楽におしゃべりしながら歩いていた。と、鈴の音が聞こえ、人が登ってくるのかと思いきや、突然黒い犬が現れた。しかし私達を見るとピタリと足が止まり、そのままバックして行ってしまった。はて?主人を熊と見まごうたか。「ご主人様、熊がおりました」と慌てて報告に行ったのかも知れないと大笑い。犬の鈴の音は林の彼方に遠ざかり、それきり私達の前に姿を現さなかった。もしかしたらオウムの残党所有の番犬かも知れない…などと空想を膨らませて、またおしゃべりしながら下りていった。

 ゴーラ沢迄下りるとテントを張って今夜野営するらしい男性が一人、川水で食事の用意をしているらしかった。オウム?と再び犬の話題と関連づけてジョークをとばすが、まさかねと、無論確かめるなどという恐ろしいことはせず無難に通過。あの犬はハンターの犬だったのかも知れない。

 ようやく車道に降り立ったのは、辛うじて暗くなる直前だった。
 下山連絡をして楽しみの締めくくり、温泉へ向かう。武田信玄の隠れ湯といわれている中川温泉へ行ったがどこも皆立派な建物で、どうも敷居が高い。果たして温泉だけ入れて貰えるだろうかと何件か立派な建物の前を通過して、ある一軒に聞きに行った。「いいですよ」と気持ちの良い返事。野天風呂もあって一人七百円なりの温泉につかってきた。女湯は一人で独占だった。満足満足。
 帰路は主人の運転で東名を快調にとばしてきた。