北ア; 鹿島槍慰霊祭
(かしまやりいれいさい)

13回忌に巡り合わせて


 H8年6月9日(日)前夜発 ;
  Member.多数(60余名)

【コース】大谷原(夜中1:20着仮眠〜遭難現場(ケルン)〜
 大谷原〜鹿島山荘(慰霊祭)


 遭難という不幸な歴史も知らず入会した私にとって、故人を偲ぶべくもない。だがこの13回忌に巡り合わせて、その事実を認識し、黙する山からのメッセージを身近に受け止めることにした。

 残念ながら8日は予定が立たず、山頂を目指すことはできなかった。残雪の中歩く自信もなかったことを思えば丁度良かったのだが、機会があればいつか登ってみたい。初めて行ってみてそう思った。

 当日、割り振られたメンバーと共に行動をした。何が何やら分からないまま、言われるままについていく。先発隊ということで車に同乗した為、私はてっきり準備のため鹿島山荘に直行とばかり思っていた。しかし、遺体が発見された場所に行くと聞き、コースも何も分からない状態で歩く事への不安が広がった。当時をよく知る中山さんの説明を聞きながら、車を降りて林道を進み、やがて目の前に雪渓が現れてくると山腹に下ってくる一団が目にとまった。昨日登山した柴笛のグループだった。雨の中、歩いたらしく、一部にはかなりしんどそうな表情の人もいて、私は行かないで正解だったかもしれない。

 休憩している彼等を後に我等先発隊5名(中山・奥山・松田・服部・石原)は先行。のんびり進んだので歩き始めてから1時間半くらいはかかったろうか、やっと最初のケルン(清水氏が発見された場所で昨日作られた物だそうだ)に着いた。お参りして、もう少し上にあるケルンまで行き、再び手を合わせる。中山さんから遭難の状況を聞き、複雑な気持ちだった。

 老婆心から思わず側にいた若い服部さん達に、我を忘れて「親を泣かせては駄目よ」と言ってしまった。同じ年頃の息子をもつ私にすればひと事ではなかったのだ。山を歩く人は皆気をつけなければいけないことだが、雪山は特に恐いと痛感。

 再び清水氏のケルンで皆と合流し、花や線香、酒などを手向けていたので手を合わせ先に下山。大谷原から鹿島山荘へ行き、慰霊祭の準備にとりかかった。

 全員下山してきたところで慰霊祭が始まった。『おばばの碑』の前に60余名の参加者が集い、遭難者の死を悼み、捜索に協力を惜しまなかった山荘の先代のおばあさんに感謝を捧げ、また遺族の方々の長年の悲しみと労苦をねぎらう。

 若くてナイーブな服部さんの涙は、忘れてならない涙。遺族の方々の悲しみを乗り越えての笑顔も忘れてならない笑顔。今回13回忌にご供養させて戴いてありがとうございました。