奥日光 ;  庚申山〜 薬師岳
 (こうしんさん1892m)
 皇海山に登るのが目的だったが冬の皇海山は遠かった!天気には恵まれたがトレースがほとんど無かったため、交替のラッセルで思った以上に時間がかかった。一日目の登りと三日目の下りはつぼ足、二日目だけわかんを着装。アイゼンは未使用、ピッケルは勿論必携。

H11年1月15日(金)〜17日(日)前夜発 
 Member.CL佐藤・SL海輪・田谷・石原(夫婦)計5名


【庚申山見晴台近くより望む】右
(石原夫・田谷・佐藤・海輪)

【コース】
一日目:1月15日(金)
天気;晴れ後雪
銀山平8:10〜一ノ鳥居9:10-25〜庚申山荘11:40-12:20〜庚申山頂手前16:20(天幕泊)

二日目:1月16日(土)
天気;晴れ
テン場7:50〜庚申山頂8:20-25〜御岳山9:00〜駒掛山〜渓雲岳〜地蔵岳10:30〜薬師岳11:40-12:25〜地蔵岳〜渓雲岳〜駒掛山〜御岳山〜庚申山頂14:55〜テン場15:05

三日目:1月17日(日)
天気;晴れ
テン場7:15〜庚申山荘8:45〜一ノ鳥居9:55〜銀山平10:45



【一日目】
 全員車に乗り合わせ、事務所を出発したのは前夜23:20。銀山平に着いたのは翌4時少し前だったろうか。車中にて仮眠約3時間。

 地図でのコースタイム通りに歩けたのは一ノ鳥居までの林道だけだった。この日はまだ雪が無いところの方が多かった。一ノ鳥居から庚申山荘までの夏時間は1時間10分。しかしその2倍の時間がかかった。山荘辺りの積雪は30-40センチ程。山荘は立派な建物だった。雪がちらちら舞い、雪にすっぽり包まれた姿は素敵だった。無人だが中に入れて布団も自由に使える。ただし料金箱が設置されているので自己申告で要宿泊料(素泊まり一泊2千円)。TEL(0288-93-3111足尾役場)。トイレもあるのでありがたい。我々は中で昼食をとってから出発。ここからが大変だった。

 無雪期ならば山頂まで1時間のところ、登るほどに深くなるノントレースのラッセルでその4倍かかってしまった。目印は赤布と木についている四角いマーク(赤と黄色が塗られている)だが、数が少なくて、それがなかなか見つからない。すっぽり隠れている梯子や階段、鎖などを探りながらの前進は5人で交替しても体力を消耗させた。慣れない私や夫に比べ、海輪さんや三郎さんは上手に足場を作っていく。それを見ながら真似る夫も次第に慣れてきた。私はどうも上手に出来ない。急登の場所はなおさら難しい。田谷さんはバイタリテイがあり、楽しそうにがんがん進んでいく。細い体で重い荷物を背負っているにも関わらず、さすが若さにはかなわない。息子よりふたつ、みっつ上くらいだから当然と言えば当然か。

 山頂に届かないのに時は無情にも4時を過ぎてしまった。思いの他の深雪に、くたびれ果てた頃、庚申山頂の手前でテン場に良さそうな所があった。そこでテント設営(16:20)。テントの中に入ったときはもうくたくただった。それでもテントの中のランタンの明かりは私達の気持ちをホッとさせてくれる。一緒に登った苦労を言葉にせずとも互いに労う雰囲気がそこにはある。食料はドライフーズのものだがそれぞれに持ち寄ったつまみや飲み物で気分良く酔う。宴会で盛り上がるがさすがに眠くなり、8:30就寝。夜空は満天の星。

【二日目】
 5時起床の予定だったがアラームが鳴らず(気がつかず?)6時起床になってしまった。皇海山はもう、とうに諦めて、鋸山を目指して12時を目処に行けるところまで行こうという事になっていた。テン場を残し、荷を軽くして行くが、ラッセルしながらの前進は相変わらず遅々としたものだった。この日ははじめから全員わかんを着装。気温はマイナス10度。

 テン場から庚申山頂まで行くのにまず少々手間取った。ラッセルしながら着いた庚申山頂は見晴らしが良くないが、記念写真を撮る。少し先に見晴台があり、皇海山と鋸山らしき山容があった。残念ながら上部は雲に隠れていた(帰りは素晴らしい展望だった)。

 尾根上の積雪は風で吹き飛ばされているところもあったが、深いところは足が全部潜ってしまうほど。疲れるので交替と休憩を繰り返しながらすすむ。ところが海輪さんの木のわかんがどうも調子悪いらしい。30年位前のものらしいが、そんなに保っていること自体が私には驚きだった。

 第六峰の薬師岳で眼前に鋸山を目の当たりにしたとき、もはやここまでと、前進を断念。既に11:40、鋸山迄の行軍は無理だった。真っ青な空、樹木に被さっているこんもりした雪、そのコントラストと鋸山を、日溜まりの中満喫。ここから皇海山は樹間から見える程度だった。気温はここでマイナス2度。

 薬師岳でゆっくり展望を楽しみ、山座同定をして、テン場に戻るここからが、やっとトレース付きの道だった。自分たちで拓いた道の上を意気揚々?と踏んでいく。が、尾根上は既に風で消えているところが何カ所かあった。もっと風が強かったらもっと消えてしまったかもしれない。

 庚申山の展望台あたりで初めて男女2人連れの登山者と出会い、「トレースのお陰で助かりました」とお礼を言われる。この時3時近かったにもかかわらず、庚申山荘の近くのテン場まで同ルートを戻らず、この先から一気に下ると言うので驚いた(翌日温泉で会い、4時には戻れたと聞きホッとする)。それにしても、私達の前にトレースがあったら、私達ももっと先に行けたかも知れないのにとふと思ってしまった。私達が苦労したラッセルの跡を楽に歩いてきたであろう彼等に対し、ちょっぴり悔しいとメンバーに洩らした私に、海輪さんが「いやぁ、人のお役に立てたということで良いんですよ」と言った。なんて良い人なんだろう。自分が恥ずかしかった。そうなのだ、お互い様なのだ。まして私達は道を拓く喜びがあった。爽快な気分で再び歩いた。

 トレース付きの下りとはいえアップダウンがあったものだから夫はかなりバテてきていた。早く着いてしまってはアルコールが足りなくなると言う他メンバー。そのためゆっくり歩いていたのだが、テン場には3時過ぎに到着してしまった。すぐにテントの中に入れるのは嬉しい。その夜は風が強く、全員あまり眠れなかった。

【三日目】
 予定通り5時起床。風強く、地面や木に載っている雪が舞っている。食事とテン場の片づけを済ませて下山する。天気は快晴。登りの時、アイスバーンの気になるところがあったので一応皆シュリンゲを腰に巻き、カラビナをつける。しかしそこは巻いて下りたので結局使わなかった。

 途中のんびりと休みながら下山したが、トレースがはっきり残っていたので下りは早かった。3人の年輩の男性と山荘辺りで会った。話によると、この連休の前まで天気が悪く吹雪いていたそうだ。私達はラッキーだった。MMLの岡本さんから聞いていた峡彩ランタン会の人かと思ったらそうではなく、地元桐生に住んでいる人たちだった。結局ランタン会の人とは会わなかった。この日入山の人が数人いた。

 銀山平のかじか荘で温泉に入り、食事してから帰路に向かう。温泉は一人600円、内湯(シャンプー、ボディシャンプー付)、露天風呂、低温サウナあり。