奥多摩;雲取山
(くもとりやま)
晩秋の雲取山へ

 H5年11月24日(水)〜25日(木)当日発 ;
 Member.計4名

 【コース】(=は乗り物、〜は歩き)
24日(一日目)
立川5:26発=奥多摩駅6:55発=(バス)=丹波(620m)7:51〜サオラ峠(1400m)11:10-12:25〜林道分岐点14:10〜三条の湯小屋(1100m)15:05(泊)

25日(二日目)
三条の湯小屋(1100m)7:15〜三条ダルミ(1775m)9:45-10:05〜雲取山山頂(2017.1m)10:45-12:15〜小雲取山(1937m)12:35〜奥多摩小屋12:55〜ブナ坂13:20〜七ツ石山(1757.3m)13:35-40〜ブナ坂13:50〜堂所〜登山道分岐16:25〜鴨沢16:50-55〜留浦17:05着17:27発=(バス)=奥多摩駅18:22発=立川19:43発


24日(一日目)
 念願の雲取山に登れた。今年は無理だろうとあきらめていただけに感慨も一入だった。これは何回となく娘にモーションをかけていた結果、嬉しいことにOKしてくれたからに外ならない。たまたま創立記念日と授業参観の振替休日が重なって、めったにない平日連休に恵まれたためラッキーだった。当の娘には災難だったかもしれないが…。とにかく親孝行はしてくれた。そして、それではボデイガードにと主人も誘い、しかも先生までご一緒して下さることになったのだが、さてその道中や如何に。

 起床三時。今回は家族ぐるみなので昨夜のうちに用意した朝食をしっかり食べ、長男に駅まで車で送ってもらった。半ば眠ってる娘と主人、よくぞ同行して下さいました。

 暗闇の中、中原始発の電車は走り出し、いつもとは違う同乗者で、早くもビデオを回す。

 立川駅で先生と合流。常と変わらぬ先生の爽やかな笑顔に比べ、いまだ覚めやらずの我が同行者だったが初対面の挨拶と、お世話になっている日頃の私を先生に謝してもらった。

 奥多摩では今までの中で一番遠い道のりだった。丹波までのバスは私たちの他に男性が一人乗っただけだったがその人はなんと、雲取を日帰りするとのことだった。その身の軽さが羨ましい。その人は途中下車した為終点は私たちだけだった。バス代を支払った時、運転手さんも心得たもので、「少しでも軽いほうがいいでしょうから」と、つり銭にまで気を遣ってくれていた。

 暑いくらいだったバスの中に比べ、外はひんやりしていたが、これから登る嬉しさに気持ちは弾んでいた。そしてペースメーカーの先生を先頭に、ゆっくり歩き出した。東京一高い山と言えどもいつもと変わらぬ奥多摩の山道。もう道端に咲く花もほとんど見られず、「あけびの実がなっていたら良いですね」と言われる先生の期待も残念ながら応えてくれなかった。ところが数日前の鹿倉山同様、この寒い中タチツボスミレが一つ狂い咲きしていた。何もなくては愛想が無いと思って、慰めてくれたのだろうか?

 初め気候が穏やかだったがそのうち冷たい風が吹いてきた。休憩すると寒くなるが、歩いている時は長袖一枚で十分だった。

 今夜は三条の湯で泊まるので時間には余裕がある。これは正解だった。全く久しぶりで慣れていない主人だが一生懸命交代でビデオを回してくれる。写真も撮ったりして竿裏(サオラ)峠までの急な登りを行った訳だが、その割に時間は予定内でおさまっていた。霜柱を踏みしめ娘と手に触れたり、木の実に足を止めたり、葉の落ちた大木にヤドリギを発見したりと、晩秋の山路を堪能しながら、取り敢えず、サオラ峠に着いた時はほっとした。

 昼食をとるにはもってこいの陽だまりで、そこからは富士山も奇麗に見えた。持ってきた酢豚とお稲荷さん、そして味噌汁を作って美味しく戴いた。そこで飛竜山方面から下山してきた山慣れた年配のグループ(男性二人、女性一人)と出会い、上のほうでは雪が降ったと教えてもらった(後からこの日の朝が初雪だったと知る)。我々一同驚きの声。しかし三条の小屋までは下りだから大丈夫だろうと思いながら歩き出した。いつのまにか先生の手に手ごろなステッキ、思わず主人と娘を助さん格さんに見立てて「先生、水戸黄門様みたい」と言ったら「何で私が男なのよ」と娘に怒られた。

 ミヤマクマワラビ等、シダの群生しているブナ林。さっきとは違ったなだらかな傾斜を気分よく下って行くと、以外にもうっすらと雪が現われ出した。そして早くも三条の湯の小屋の赤い屋根が見えてきたと歓喜したものの道のりは思ったより遠かった。その自然林の宝庫は素晴しい景観だったがまた天然の大きな冷蔵庫でもあった。日だまりを見つけて小休止しようと思うのだがなかなか無くて、日の当たらない荒れた山葵田で休んだりもした。

 三条の湯には三時ごろ到着。気温は三度。部屋にはいると暖房もなく、すぐお布団を敷いた。湯冷めが心配でお風呂に入ることも出来ず、夕食を待ちかねた。食堂だけはストーブがあって暖かかった。全員で9名という中で管理人の方の声が一際高く、いろいろなお話しをしてくれた。熊が出ること、夜道に前を流れる川にはまって亡くなった方がいたという事など。

 寝る前のお風呂は最高だった。お陰でぐっすり眠ることが出来た。

25日(二日目)
 二日目は7時15分出発。天気は快晴。水無尾根を巻いて雲取山に向かう。歩き始めの急登を乗り越えて、多少の積雪は残っているもののこの日の歩きは快適だった。常緑のコメツガや、葉を落として枝を休めているカラマツ、ミズナラの林の中。時折周りの山容を眺めるゆとりも持てて、あれが雲取山と目標を定めつつ、歩を進めた。三条ダルミを“お父さんの腹だるみ”と命名してしばし休憩。正面に大菩薩峠が認められ、広げた地図で一つ一つ確認していく。真白き富士の嶺を仰ぎながら。

 そこから山頂までは後一息。とは言うものの少々傾斜がきつくなった。しかし二日目の慣れもあってか順調に進み、予定より早めに山頂に到着。さすが100名山に選ばれただけの事はある。その展望は素晴しかった。快晴、無風、ただ空気はとっても冷たかった。いつか行きたいと思っている南アルプスの北岳、間ノ岳そしてその先に、農鳥岳があって、山頂で会ったご夫婦?の男性がそこの小屋で働いていたと言っていた。私たちにとってとってもよいガイドさんがいたわけだ。広々とした山頂はさすが人気があると思わせる顔を持っている。山頂のちょうど日だまりのところで小屋で作ってもらったお弁当を食べ、後から登ってきたマウンテンバイクに乗った若者(大学生)と話をしたりしている時、突然ガサガサと音がした。熊か!と思わず身構えて振り返ると大きなニホンジカだった。自然の中でのこうした遭遇に皆一様に興奮してしまった。「どうせなら熊にも逢いたい」と、のたまう我がお嬢さん、きっと一番先に悲鳴をあげるのはあなたですよ!。

 爽やかな若者と写真を一緒に写して、マウンテンバイクで走りさる姿を見送って、山頂を後にした時は30分もタイムオーバーしてしまっていた。

 山頂から小雲取山に至る間は富士をはじめとしてじっくりその開けた展望を楽しめる。ああ又来たい、心からそう思った。そして共に来てくれた娘と主人のためにこの日こうして天気に恵まれたことに感謝した。

 七ツ石山は足の危機感を感じ始めた主人がパス、先生と娘と私の三人で登った。今下りて来た雲取山、小雲取山の姿がしっかり見える。ここで見納めだろうとしっかりまぶたに焼き付けてから下山した。ほんの30分程度だったが下で待っていた主人は少しでも休めて良かったようだ。

 さあ、ここからの尾根伝いの道のりがとてつもなく長かった。いつものペースで進む先生と私、遅れ気味の主人に合わせて、話ながらついてくる娘…その距離を気遣いながらバスはどれに乗れるだろうと思いつつ歩いていた。思ったより時間は稼げず、十分時間をとったつもりのその余裕の予定、そのままの時間、5時に下山した。これは意外だった。車道に出るとあっという間に暗くなってきた。

 30分ほどバスにゆられて奥多摩の駅に着くと、そこにあのマウンテンバイクの二人の若者がその自転車を片付けていた。同じ電車に乗って、彼等が下りるとき、丁寧に挨拶に来てくれた。実に礼儀正しいとその人柄に好感を持ったことはいうまでもない。

 今回は一日目23,000歩、二日目38,000歩、合計61,000歩だった。