会津・会津駒ヶ岳(あいづこまがたけ2132.4m)

 雪遊びふたたび、雪洞づくり
 好天に恵まれ360度の展望
 タイムは足のトラブル時のご参考に(^_-)

 H16年4月10-11日(土日)
  天気;両日晴れ
  Member.2人(夫婦)

右写真【山頂を眺めながら目的の雪洞掘り】


 【コ ー ス 】(〜は歩、休憩時間含む)

一日目(4/10)
登山口8:00〜林道分岐8:15-25〜ヘリポート跡10:35-50〜駒の小屋15:00(雪洞掘り2時間30分くらい)雪洞内泊
(登り所要時間約7時間・・休憩含む)

二日目(4/11)
雪洞7:55〜会津駒ヶ岳山頂8:10-45〜雪洞8:55-9:10〜ヘリポート跡10:30-45〜林道(取り付き点、木の階段)11:05〜登山口11:37
(所要時間約3時間42分・・休憩含む)


一日目(4/10)
 先月の荒沢山での雪洞掘りにその楽しさの潜在意識が呼び起こされ、また作りたくなった斉木氏から会津駒へ行かないかという甘い誘いが来た。即反応したのは夫。それでは行こうじゃないかと日程までさっさと決めてきた。また四人で行こうということになっていたが、斉木氏の足の古傷が思わしくないということで取りやめになった。しかし夫はその気になっていたので私もこれ幸いと二人で決行。

 会津駒ヶ岳は一度秋に行ったことがあるが、もう10年以上前になる。その時の登りはガスの中で、周囲の様子は全くわからなかった。駒の小屋も発電機の大きな音がして、小屋の側まで来たことに気付いたほどであった。そして翌日、束の間に望めた山頂や中門岳からの展望が強く印象に残っている程度だから、今回の雪山にそれがどれほどの参考になるものか・・と思っていた。しかし山スキーでは人気があるようだし、人は入っているだろう。天気が悪ければ無理しなければいい、なんて思って行ってみたら、両日とも人の多いこと!とにかく人気の山だと驚いた。

左【登山口からこの積雪】

 前夜発で登山口には予定より早く、夜中の12時半頃到着。テントで仮眠して(かなりしっかり寝て)、出発は朝8時。とっても良いお天気だった。明け方5時過ぎには車がどんどん来ていたので、私達の出発は遅いほうだ。私達の今回の目的は雪洞堀りで一泊だから、多少遅くなっても構わない。だが、この時間に出ても1時か2時くらいまでには着くだろうと思っていた。しかし夫の足が攣るというトラブルでペースダウン。一泊の装備が恨めしく思われるのだった。

左【腐った雪で登りがきつい】

 前置きが長くなったが、登山口から積雪の上を歩き始め、川を渡った所で小休止、軽く朝食を摂りながら地図でコースを確認。林道から離れ上ノ沢左岸を上っていく。山スキーを履いた人が多く、彼等は意外にもペースが早い。夏道があるはずだがトレースを辿るとどうやら積雪期の冬道のようだ。それでもたまに目印がついている。夏道よりは歩き易いかと思ったが、腐った雪の急斜面でけっこうきつい。休みながらゆっくりと登っていった。

左【ヘリポート跡で】

 尾根にとりついてそのままもう少し登っていくと広場になっていた。地図によるとヘリポート跡のようだ。今は使われていないのだろうか?ようやく周囲の山々が見晴らせてとても爽快な気分になれるところだ。登山口930mから400mくらいしか登っていない。今回の標高差は1200mほどだからまだ三分の一なのに、もうここでいいやと思ってしまう。「テントを持っていたらここで張っちゃうね」と二人で笑いながらしばらく展望を楽しみ、再び登り始める。

左【気持の良い落葉樹だが、足が攣って・・】

 落葉樹の林は陽がさんさんと射し込んで気持ちがいい。緩斜面と急斜面の繰り返しのただひたすらの登りをいくが、困ったことに足が攣ったと夫が言いだした。慣れたものでことさら慌てることもなく、その場でしばらく休み、梅干しを食べたり、足に薬を塗ったりして、だましだまし亀さん、蟻さんの歩みで登っていった。時間はある、慌てることはない。絶え間なく下りてくる人たちと挨拶を交わしながら行くが、その多くが山スキーを履いていた。

 途中後ろから一人の女性(後からご主人が来るというご夫婦連れ)が来て立ち話したが、日帰りで下りてから檜枝岐温泉の民宿に泊まると言っていた。思わず「いいですねぇ・・」と本音。私も軽い荷物で登下山してゆっくり温泉に浸かった方がいい。または食事と布団付きの山小屋に切り替えたいなぁとこの頃は常々思う。しかしテントや今回のような雪洞も捨てがたく、何より夫はへばりながらも山頂で朝を迎えたいというのが願いなのだ。足が攣ろうが、ヒィヒィ言おうが、やめずに必死に登る姿には感心する。そのご夫婦がこの日の最後の日帰り登山者だった。

左【春の雪、山頂(右)は近いが遠く思える】

 彼等を先に見送って、ゆっくり登ってくる夫を振り返りながら登っていると、山頂から下りてきた男性に「あと30分くらいだけどその足どりじゃ45分はかかるね」と言われてしまった。6時に登って10時には山頂についたという。朝の内はアイゼンがきいて、快調に登れたそうだ。この時期は朝早いに越したことはない。私達が歩き始めた時にはすでに春のシャーベット状でアイゼンを着ける意味がなく、従ってそれだけでも登る効率は悪かった。雪はたっぷり残っていても、すっかり春だと痛感。

左【燧ヶ岳と至仏山が見えてきた】

 左手に燧ヶ岳と至仏山が大きな姿を現すと、やっとここまで来たという嬉しさがこみ上げる。山頂を目前にしても近くて遠く感じられたが、はて雪洞はどこに掘ろうか・・と目で推し量る。山スキーヤーの歓喜の声と、そのシュプールがいつもの山歩きとは違う世界に来たような気にさせる。スキーヤーの邪魔にならないような場所は・・・と大体の目星をつけ、山頂より先にそちらへ歩を進めた。

左【小屋は雪に隠れていた:その右は燧ヶ岳と至仏山】

 そこは大きな木がなかったはずだと曖昧な記憶で選んだ場所に来て、ようやく駒の小屋が見えた。登山ルートからは積雪ですっかり姿を隠していたのだった。ここも思い出のある場所だった。

左【せっせと雪洞を掘り進める♪】

 山頂に立つ先ほどのご夫婦を見上げながら、私達は一休み。私達には山頂へ行く時間はもうなかった。ここ(会津駒)は今が一番良いですよと話してくれたそのご夫婦を見送って、雪洞堀を開始。私達の他にはもう誰もいない。静かな素晴らしい景観を存分に味わいながら、3時半から6時頃までかけてようやく雪洞完成。 温かかった一日だったがその頃には手足が冷え切ってしまった。それでも時間的にはゆっくり登ってきて、雪洞堀には誰の邪魔にもならずよかったかな!と思うのだった。雪洞を前に満足。

左【雪洞の中で】

 雪洞に荷物を入れ、夕飯の支度にかかる。先ずは持ち上げた自家製の梅酒をホットにして乾杯。柿ピーをつまみながら寄せ鍋風のうどんを煮込んだ。「骨付きの魚なんて持ってくるなよ」と言うのを聞き流し、今度は尾頭付きにでもするか・・・・と魚嫌いの夫を横目にわざとニンマリするのであった。少量のエビと塩鱈、それに野菜たっぷりで美味しく、体も充分温まった。重いと言いつつ持ち上げるのだが、こうして山の上で食べるのは格別だ。

左【おやすみなさいzzzzzz......】 

 即席の別荘!山頂の吹きだまりは雪がきれいだし、二人が足を伸ばせてゆったりと眠れる広さはテントより快適かも知れない。外に出れば満天の星。寒くなければいつまでも見上げていたい夜空だった。期待したカモシカの姿はとうとう見られなかった。

二日目(4/11)

左【山頂へ:誰もいない白銀の世界で】

 朝起きると夫がもう入口をふさいだツエルトを片づけていた。天気は良いが、昨日よりいくらか遠望はもやっていた。誰もいない広々とした会津駒ヶ岳の上は実に爽快だった。先に食事を済ませ、片づけも済ませてから山頂へ行った。雪が締まっているだろうからとこの時だけはアイゼンを着けていった。朝一番の登りはきついと言いながらも、空荷がなんとも嬉しい。

左【会津駒ヶ岳山頂で】

 流線型の山頂は登っても登っても空が見えるだけ。やっとてっぺんの木が見え、逸る気持ちで登りつめると意外にも見覚えのある山頂標示の木の頭が見えていた。多分隠れてしまっているだろうと思っていたのでちょっと嬉しかった。360度の展望は素晴らしい。夏道の時は山頂と言えども樹林に囲まれていたから、この展望は積雪期ならではの醍醐味だ。南の燧ヶ岳、至仏山、西方向へ目をやれば平ヶ岳や越後三山、荒沢岳,未丈ヶ岳などではないかと地図と見比べながらの同定は楽しい。あれは谷川岳かなとか、あっちは男体山や白根山だろうとか。那須方面はぼんやりと眺められた。日本は小さいというけれど、山また山のこの展望を見ていると、なかなかどうして雄大ではないかと思ってしまう。

 中門岳まで行ってみる?と聞いてみたが、「いい(ノー)」と夫。今の時期ならば大戸沢岳まで行けそうに思えたが私ももうこの山頂で満足!いつまで居ても見飽きなかったが、充分堪能して下山。雪洞の所まで戻る間に一番の登山者の姿が見えてきた。9時頃だった。

左【雪洞の前で】

 雪洞に戻り、アイゼンを外し、ピッケルをストックに変え、駒の小屋の側に寄ってから下山。小屋は2棟になっていた。たしか1棟だけだったような気がする。手前は新しく建ったのだろう。戸は閉まっていたが、避難小屋としてどこか開けられると思うのだが確認はしていない。

 最後の展望を楽しみながら下山していく。次々に登ってくるほとんどが山スキーを履いていた。他にスノーシューも多い、わかんの人もいたし、スノボーを担いで登ってくる人もいた。人の途切れるときがないほど登山者が続いていて驚いた。挨拶を交わし、時には立ち止まって話し、思うことはみんな山が好きなんだなということだった。年輩の人も若い人もいて実に年齢層の幅が広い。近頃はどこへ行っても中高年の方が圧倒的に多いものだから、これも珍しいと思った。大勢のパーティもいれば、男性、女性それぞれの単独者も多かった。それだけ安心して登れる山ということなのだろう。でも賑やかなのも悪くはないが、静かな山頂を堪能できて良かったと正直思った。日帰り登山だったら不可能な事だった。

 時々シリセードなどしながら順調に下り、あっという間にヘリポート跡に到着。一つのテントが張ってあったがそれは山頂近くで会った身軽な若い女性達のだろう。そして休憩している一人の男性と話しながら休憩。かつて歩いていた山を再開したから持っている山道具は昔の古いままだと笑っていた。古き良き時代の山男という感じがした。

 その男性に夏道のことを教えて貰い、下りはそちらへ行った。いきなりの急な坂だった。スキーを履いた人はほとんど、昨日私達が登ってきたコースを行く。ここでいち早く下ってきたミニスキーの女性一人もそちらへと滑っていった。ミニスキーだと軽そうでいいなぁ・・とその上手さを羨ましく見送った。

 夏道はもう雪の無いところもあった。見覚えのある階段を下ると林道。登山口と大きく書かれている。夏はここまで車で入れるのだろうが、駐車場は?林道脇に停めるのだろうか?

 林道を下っていき、昨日歩いた冬道の所まで来ると、昨日歩いた所に上から大きな雪の固まりがいくつか滑り落ちていた。これも小さな雪崩といえるのだろうか、当たったらかなりの衝撃だっただろう。それを見てそのコースを下る気になれず、しばらくは林道をそのまま歩いていった。途中ショートカットして下の林道に下り、そのままR352の車の通っている登山口に到着。無事に行って来れたねと夫と握手。

 そのあとは檜枝岐温泉へ。近くの「駒ノ湯」に行ったが日曜なのに休業。少し先に「燧の湯」があったのでそちらへ行った。一人600円、平成11年に新しく造り替えられたらしくきれいだった。ボディシャンプーはあったがシャンプーリンスは無かった。ドライヤーあり。露天風呂あり。